2004年2月1日
2003年の日記、実は非公開でちょっとだけ書いていたのですがまずい箇所以外をアップします。
なんかMACのweb制作アプリで簡単なのが無くなってしまって仕方なくネスケコンポーザーで書いてます。
2003年日記は公開前提で書いてないのでちょっと内向的ですな。
今後マメに日記を書くという約束はしません。ハイ、きっぱりと。
実は忙しくて日記にまで気が回らないという状態のほうがどうも調子がいいようです。
ようするに今スランプです。まあそのうちUPしてくでしょう。
Yahooのニュースで今頃昨年の米ローリングストーン誌の500 Greatest album of all timeの事を取り上げてた。
そらいろいろ意見はあるさ。客観的なデータによるセールスランキングとかじゃないんだからさ。
選考が60〜70年代に偏っているって批判もあるんだけれど、これはどっちかというとローリングストーンというメディア
の衰退と見るのが正しいのではないかなあ。映画「あの頃ペニーレインと」にあったようなメディアとしての勢いと権力が
あったのがその頃なのでは?あんまり今のアメリカのポピュラー音楽のメディアシーンは知らないけど、少なくとも現在の
アメリカのティーン達のカルチャーをRSが決定付けてるとはとても思えないしね。
ウチのオタク大賞もそうだけど、こういうのは結果より過程のほうが面白いもんですよ。
結果はその過程が透けて見えてその意味では面白いけどね。例えばRSではドアーズよりラブのほうが上なのね、とか
アビーロードよりもホワイトアルバムがいいのね、とか。イマジンは76位なのにバンドオンザランは418位というのも立ち位置
がはっきりしてますね。なんていってもGo-Go`s(413位)やドンヘイリーより下だもんね。いかにRSがポールマッカートニー
が嫌いかという事がよく解る。
2004年1月11日
2004年1月5日
2003年11月30日
2003年11月15日
2003年10月25日
2003年8月11日
2003年8月6日
下半期の資金繰り計画をしてて愕然。
ようするに俺がいないとちょうど会社が回転する赤字なのだ。
パンドレッタもOTC自体も、もうそろそろ綱渡りをヤメたい。
常に俺が微妙なバランスで金銭的な調整とコンテンツ、スタッフモチベーションなんかのバランスを綱渡りで
調整してきた。限界か?
とにかく金銭的に無茶をしている。
100%の予算で150%の事をしている。もちろんそれではすぐに破綻するのでいろいろとごまかしてやってきている。
でもこのままだと皆が薄く不幸になっていく。
いきなりダウナーな開始だが、それでも生きていかなならんワタクシ。
2002年2月14日
1年間以上サボりました。すでに日記とは呼べない。
それがなぜまたぞろ書きはじめたか?切通君のBBSで女性に面白いといわれたからです。
下の2001年1月の書き込み以降ナニがあったかというとイチバン大きいのは御存じパンドレッタであり
ます。この番組に関しては2002年5月から収録スタジオが変わります。少し雰囲気が変わるのではない
でしょうか。そしてここだけのナイショ話ですがG4メンバー増やすつもりです。果たしてG4フェイズ2
なのかG5なのかは例によって気分とノリ次第。#23で現在のカナルスタジオ収録は終了の予定です。
最近車上荒らしに遇いました。捕られた鞄は無傷で発見されたのですが車の後部ウインドウが滅茶苦茶
で修理中です。慌てて事務所もセコム導入。ウチの場合金銭的被害よりも盗難されたモノの手続きとかがめんどくさい。
ま、今日のとこはこのくらいにしといてやるか>自分
1月25日
この欄、切通理作氏に「挫折した」と言われてしまいました。心を入れ替えてがんばろうと思っている所存であります。ただし入れ替えたニュー心が勤勉とは限らないのが難点(笑)
その切通理作氏の新刊、「ある朝、セカイは死んでいた」(文藝春秋社刊)がきょう発売になります。第一章の終わりのほうにワタクシも登場するので是非御一読ください。なんかとてもカッコいいいどたけしがそこにはいるのでちぃとはづかしいですわ。詳細や感想は彼のHPへどうぞ。
女の子はどうしてメールが好きなのか?ひと昔前のポケベルや最近の携帯メールは女の子は好きですよね。この現象をもって「最近の若者のコミュニケーション願望」を語りがちですがソレは半分間違いと気付く。「双方向、意志伝達のキャッチボール」ではないのではないか。女の子達のメールというのは単に言葉を投げ付けているのではないかと思う。オタキングの柳瀬君の名言「ボクは言葉のキャッチボールがしたいんじゃない、言葉のピッチング練習がしたいんだ!」に近いものじゃないのかなと思った。英語のCOMMUNICATIONの単語の元来の意味は「一方的に伝達する」という意味が含まれていたらしいのでそういう意味では正解なのだけど。
個人攻撃はいけないという価値観、いまだにわからん。なぜいけないかという理屈がどうしても構築できないなあ。前回も書いたように建て前言葉であるのでその理屈も建て前で構築しなきゃならんはずなのだがどうも「責任の所在をうやむやにしよう」という本音なしで構築が不可能。
1月12日
実はこどもの時からよく聞く言葉でどうしてもなぜだか解らない言葉があります。
「個人攻撃はよくない」このセリフってけっこう耳にしません?
個人攻撃ってなぜよくないのでしょうか?これ文章の都合上解らないフリをして断罪するって事でもなくて半ば本気(勿論マジと読む)でワカンナイのです。ワタクシはすべての責任を個人に帰属させる必要があると思っている人間なので多少バイアスがかかっているのかもしれませんが、よくわかんなあい。それにこの言葉って割にタテマエ、綺麗事系の文脈で使われる言葉ですよね。タテマエ上こういう無責任を肯定する言葉って使って違和感ないのかなあ。どっちかというと本音系の責任回避言葉じゃないの?
よく警察とか役所とかの組織を相手に訴訟なんかの戦いをしてる人っているじゃないですか。あれ昔から「なんで担当者とかその上司とか個人攻撃から入っていかないのかな」と疑問に思っていたんです。企業の公害訴訟なんかも何十年と多くの金額を費やして戦うのなら直接担当者、その上司とひとりひとり個人攻撃で企業という組織からひっぺがして訴訟すればいいのにと思った事もあります。まあ、こういう方法もケースバイケースですけどね。
もしかして「組織の一員として行動した責任は組織が負うもので個人が負うものではない」という理屈で個人攻撃がよくないというのなら根本的に紛争とか攻撃というものがわかってない寝言に過ぎない。だって紛争とか攻撃というのは相手に打撃、つまり苦痛を与えるのが第一目標で、取り引きはその後の話でしょう。組織は苦痛は感じない、苦痛を感じるのは組織内の個人でしょ。じゃ個人をピンポイントで攻撃するのが一番。それに組織の命を受けていても行動するのは個人でしょ。犯人を射殺してしまった刑事の苦悩はどんなに組織がケアしても個人の苦痛として責任を負う事になるでしょう。「あれは組織のやった事だから関係ないッス」とはいかないでしょ。実際。
いやホントに今回のこの言葉はホントにワカラん。なんか知ってる人、意見ある人は是非メール下さい。ちなみにこのネタだけはここに転載してイイかダメかを書いて下さい。このネタはもうちょっと続くつもりなので
1月6日
いつのまにやらG4とパワーブックの新品の値段がえらい事になってますがそれはおいといて。
2001年の幕開きなのですが自分的に10年前、20年前、30年前はどうだったのかというと、
30年前 1971年1月 西宮市立北夙川小学校1年生、後から思えば担任に嫌われてけっこうイビられていたのだが脳天気なワタクシはちっとも判ってない幸せモノだった。自分的にも世の中的にも牧歌的な最後の時期。この後世の中は石油ショックで不況でノストラダムスでパンクで、ワタクシ的にも社会というものとの折り合いがギクシャクしてくる。
20年前 1981年1月 高校ヤメて1年間のプータローの末再び高校入学したダブリ1年生、当時プータローという言葉はなかったのだけど正真正銘のプータロー。社会との折り合いは最悪。組織の中での無責任性みたいなモノに過剰反応するクセ絶好調。故に目上からは憎まれるのがお約束。まるで生命維持装置のようにロックミュージックを聴いていた。背中までのロングヘアーに赤いメッシュが一ケ所、もちろん今より40キロは痩せていた。当時の快挙としては電話のタダ掛け番号を発見。その後1年にわたって利用しまくる。
10年前 1991年1月 一番最近なのに一番記憶が曖昧。たしか報道番組の編集者をやってたか、それをヤメて「Q」という会社でいきなり「S」という番組のディレクターをやっていたのか? この「S」という番組は10分番組で某デパートの1社提供で一年365日オンエアでスタッフはワタクシひとりというイカシタ番組だった。会社にはもうひとりミュージッククリップやVシネマを監督してたYという奴がいてなぜか社長は一回も会社には姿を現さなかった。なのでYとワタクシは交互に会社に住んでいた。時々は仮払いでピンサロにいった。岡本喜八の「殺人狂時代」を借りてきて一緒に観てカットの繋ぎ方をコマ送りで確認したりした。「Q」は不況で仕事がなくなり、ワタクシは退職し、Yは数年後にロケハン中にビルから転落しこの世を去った。その後ワタクシは違和感を抱えながらフリーディレクターという肩書きで放浪。結果がOTCちゅう事やね。
やっぱり先日書いたようにどの時も「時代の後半」という感じでワタクシ的にも世の中的にも夜明け前という感じですな、どの時も。
1月4日
パチスロの「ガメラ」燃えますね。もちろんビッグボーナスに突入するとガメラマーチが鳴り響き、バイラスは虹光線を出し、ギャオスやギロンやジャイガーも登場します。バイラスがプレミアムキャラクタらしくて滅多に登場しないらしいのですが、ワタクシもまだ観れていません。でもジグラは一体どこに......
ことしの正月テレビ番組欄を見ていて驚いた事。ドラマがほとんど無いのです。だいたい正月のドラマというのは歴史モンとかが多いのですが、やはりドラマはお金と手間がかかりますからねえ。
年末年始の暴走族取り締まりを警察が真剣にやり始めたようですね。自宅が横浜のちょっとした幹線道路沿いなのであんちゃん達がここ数年元気になってたのは知ってましたが取り締まり側がかつて昭和50年代ほど強硬に、かつやる気のある対応をしてなかったのですが、まあ官僚組織のモチベーションとして「目立つ所」を重点的に取り締まるのでしょう。今回の年末年始取り締まりが「アリバイ」なのか「本気(勿論マジと読む)」なのかは今年一年観察させて頂きましょう。
ある意味オタクの原始時代の代表的人物ともいえる小林信彦氏が文春で「テレビの黄金時代」を新連載。ワタクシの両親と同世代の小林氏は週刊のほうの文春の連載などである意味人生幸朗のようになっていくのかと思いきや、エネルギッシュですね。
ことしの阪神タイガースは意外にイイのではという阪神ファン以外は「はじまったよ」と言われる事必至の発言をする。考えてみりゃ昨年の今頃には新庄もたよりなかったし、1番上坂2番沖原3番坪井4番ペレス5番カーライル6番平尾7番桧山8番矢野、う〜んいつもと変わらぬメンツ。
東京ではどうかしりませんが昭和50年代おわりくらいまでワタクシの住んでいた阪神地区ではラーメンの専門店というのは札幌ラーメン以外はありませんでした。昭和58年の横浜に引越してきて中華料理屋ではないラーメン屋というものを見た記憶があります。現在仕事の終わった真夜中〜明け方に食うのは牛丼かラーメン、20代ではないのだからもう少し身体をいたわりましょう。
12月31日
数時間早いですが、賀正!思えばこのOTCプロジェクトに関わって5年、一瞬で倒産すると言われた法人化から1年以上過ってしまいました。
よく70年代、80年代などという括りをしますが、ワタクシはその10年紀は*5年から*4年あたりまでではないかと思っています。解りやすく言うと70年代が始まったのは75年あたりで80年代が始まったのは84〜5年、90年代が始まったのは95〜6年だと思うのです。75年あたりというのはイケイケの時代が終わってやたらネガティブになっていった頃、パンクの出現もこの頃。一般的に60年代の景色になっているヒッピーやニューロックなんかも66年くらいからのモノですし。だいたいビートルズのデビューは63年なのです。
そういうテンでいくと90年代がはじまったのは95,6年。エヴァとかインターネットブームとかときメモとか、そうあのころです。だから新時代というのはあと4年くらい後、現在は既存の流れの発展系があと数年続く、そう睨んでます。
では2004〜6年くらいにやってくる00年代というのは?というのを早く「発見」して「理解」するのがワタクシのこれからの仕事なのでしょう。おそらくこの1,2年でその芽はどこかで発芽するはずですから。
これって実は今の「バトルロワイヤル」な15歳達が20歳になった時の事なんですね。前田亜季や栗山千明や藤原達也(彼はちょっと上か)が20歳になった時にどんな美意識とスタイルを持ったタレント、役者になっていてどんな支持をされているのか、そんなところで答えが出ているのかもしれません。
とりあえず2001年の正月、そして平成はもう13年なのですね。平成を発表したオブチ氏ももうこの世に無く、いたずらに歳を重ねるワタクシはもう38。嗚呼......。
12月22日
バトルロワイヤル、ならびに前田亜季、ならびに栗山千明、ならびに石川絵里に関する萌えに関しては今日はおいといて.......
新庄のFAメジャー行き、どうして「宇宙人」などとなぜ理解できないのでしょうか?日本のスポーツジャーナリズムの程度の低さを表しているようでなんとも.....
彼は日本には珍しい「プレイヤー」です。彼が野球をやるそのモチベーションは「楽しいから」なのですが、これを理解できない人が多いようで、少し前の某カントクもそうでしたね。数年前の引退騒ぎというのは「野球をやっているとうまくいった時もうまくいかない時も楽しかったハズなのに楽しくなくなった」という事なのですね。
だから彼がFAにあたって「楽しく野球ができる環境」を求めたのは当然で、それを五年15億とか、そういった方向でしか交渉できなかったのは無能としかいいようがないですね。だから1年メッツでプレイして契約更新ができなくても日本には帰ってこないでしょう。AAAででも日本野球よりは楽しですね。
プレイヤーというのは言葉の通り「遊ぶ人」です。決してワーカーではない。その「プレイ」に対して人々は喝采を送り、対価をはらうのでしょ。その数少ない日本のプレイヤーが野茂であり新庄だと思いますね。
ようするに日本のプロ野球がいかに魅力のないものかという事です。関係者も危機感はあるようですが見当はずれのコメントを発してますね。
「ワールドカップを早く開催して日本にいてもアメリカに挑戦できる環境を」
これがどんだけ見当はずれなのかは上記の通り。ちなみに発言者は見当はずれが持ち味でもある金田正一さんでした。
どうもレイアウトを上品にしたら文章もおとなしくなってしまった。もうちょっと次回までには考えておきませう。
12月17日のわたくし
映画「バトルロワイヤル」観ました。仕事をかたずけてオールナイトの午前2時の回でやっと観れました。
さて結局わたくしの感想はどうだったか?そら面白かったですよ。特に前半のテンポや各人の走るアクションのカッコよさなんかはピカイチです。原作さえ読まなければ手放しで、いや原作を読んでいても映画は映画として傑作と言ってもイイです。
でもね。
やっぱりビートたけしが鬱陶しいのですわ、わたくしには。生徒からバカにされ娘に嫌われてと言われましてもねえ。「そんな事まで知らんがな、おっさん」と思ってしまう。大人と子供の戦いとか父子の戦いというテーマはやっぱり「バトルロワイヤル」という状況を矮小化させているだけのような気がします。
ま、映画としては充分にわくわくと楽しませて頂きましたし、今読んだサンスポによると40億いくかもということなのでとりあえずこの映画に関わった皆様にはご苦労様、そして面白かったです、そしておめでとうございますということで本日はシメましょう。
今日のテーマ「と、同時にいろいろと萌える映画でした」
11月29日のわたくし
映画「バトルロワイヤル」結局忙しくて公開前には見れそうもないです。原作とは違う意図で作られているのがはっきりした以上は別モノと割り切って見るのが一番でしょうね。「システム説明ビデオに宮村優子」とか神経を逆撫でするような気持ちのイイキャスティングもあるようですし公開を楽しみに待ちましょう。
しかし原作のバックに大きくある「日本人の根本的官僚体質」。直接的には官僚的抑圧という事に関してはあまり語られてないですね、あいかわらず。
映画版に登場する北野武氏ですが、実はここまでワタクシこの人の魅力がちっとも解らないのです。ツービート時代から面白いと思った事がない。少し上の世代が妙にシンパシイを寄せているのにも?でしたし、北野映画ってよくわかんないです。なんか劣等感を押し付けられているような気分になる人です。だから今回の教諭役はハマリ役だなとは思いましたが。どうしてこんなに支持されるのだろう?松本人志は面白い時もオモロナイ時も理解はできるし協調できる。太田光もオモシロサは最近判ってきました。(どうも東京演芸くささが苦手だったのですが)、でもビートたけしってオモシロイと思わない。なぜだろう?
同じ位わかんない人にテリー伊藤という人がいます。そして最近ひそかにオモロイのが爆笑問題の田中氏だったりします。ギックリ腰だそうで、「玉なしの腰抜け」と太田氏にツッコまれていました。
今日のテーマ
「のだまことって笑点の座布団運びの人?」
11月25日のわたくし
前回から一ヶ月も経ってしまった。申し訳ない。
最近大忙しであります。この欄も忙しさでサボっていたら切通理作氏にホームページで紹介されてしまいました。「はよ更新せんかい!」という意味と解釈し、海より深く反省すると同時に感謝!切通氏はOTC制作の「特撮リスペクト21」で出演予定です。その一方で切通氏の次の単行本にはわたくしが登場予定です。彼と知り合ってから実はもう20年以上経つのですね。
OTCプロジェクト開始以来3年で6回目の引っ越しをします。どうも一ケ所で落ち着くという発想が欠落しているようで渋谷〜渋谷〜新宿〜新宿〜三軒茶屋〜代々木公園ときて次は恵比須の予定。
OTCが、というよりわたくしがある種のクーデターにより放逐されて独立法人化して一年経ちました。いやあしんどかった。仁義なき戦いで言うと山守になろうとしたのですが結局広野になってしまってましたね昨年は。教訓は「人を見て法を説け」。
そして凄い事に今年は暴れていない。昨年の仁義なき戦いや一昨年のコ****とセ*を巻き込んだ大暴れとか年に一回は暴れる事が多かったのですが今年は温和な人物で通せそうですわ。
BSがらみの仕事が多いです。まさしくBSバブル状態。でも各局で温度差が激しいですね。某局の「NHKさんがんばってね、ウチは死んだフリ」というのも見識。某局の「めいっぱいやったるわい(by立売堀で営むもーやん)」というのも見識。でも地上波との差別化という点では編成表の段階でもそうとう優劣がありますね。これは実際の制作現場に行くと増々拡がるでしょうね。地上波は地上波。衛星放送は衛星放送。この間にはノストラダムス著「諸世紀」と丹波哲郎主演「ノストラダムスの大予言」くらいの差があるのですけどねえ。
今日のテーマ
「また書き始めます」
10月19日のわたくし
官僚批判が日常化してますが、みんな自覚してるのかなあ。官僚批判、つまり前例主義や慣行慣例への無批判な盲従、さらになりふりかまわない身内への利権誘導、規則をたてに取った無行動といったものはなにも官僚しかもってないものじゃないですよね。
TV業界でかつて侮蔑の表現で最大だったのは「サラリーマン」でした。9時から5時、日曜日は休日、与えられた業務しかしない、これらが最初からあたりまえだと思ってる人々への侮蔑でしたが、最近じゃあたりまえのようにこういった人々が増えたのであんまり聞きません。特にクリエイタと呼ばれる人々に増えましたね。
ああ、ぼやかして書こうと思ったのに全然ぼやけてない。そう、ようするに皆が官僚化してるのです。だから官僚主義批判は「我が内なる官僚主義批判」でなくてはならないのです。
もうちょっと整理して書きますわ。ちょっとタンマ。
今日のテーマ
「中10日で筆が重い」
10月12日のわたくし
「カーパラ」等でおなじみ、ワタクシのシトロエンXMがきのう、山手通り目黒警察署前で「トゥン!」という音とともに壊れました。ミッションが逝ってしまったようで脱着工賃30万円+オーバーホール代20万円プラスどれだけかかるかわからないので廃車とあいなりました。
で、現在どうなってるかというとこういう事になってます。
アシとなるクルマを急いで買いました。10万円です。シトロエンBX.....
やはりクルマは100万以上するものは買うべきじゃ無いですね。こういう時のダメージがでかすぎる。10万円号は今日から元気にシャリシャリとエンジン音を轟かせて走っています。
今日のテーマ「眠いので短い。すまぬ」
10月11日のわたくし
タイガース広沢選手は引退するのでしょうか?別にとりたてて好きな選手ではありません、どちらかというと無事にオリックスに行く事が決まった田村投手のほうが興味がありました。でもね.....
元々スワローズの主力打者であった広沢選手がFAでジャイアンツ入りした時に多くの人が「?」と思ったでしょう。当時どう考えてもスワローズにいたほうがチーム状態や起用等の扱いでも有利だったのは明らかでした。でも彼はFAせざるをえなかったのです。血縁者の借金。当時あまり報道されないで昨年タイガース入りの際に一部で報道された事実です。
金満球団と言われる事の多い読売ですが、この時の彼を救える唯一の方法は読売入りでした。他の11社は救う力がなかったのです。桑田選手の時といいこうした処置のできる組織には求心力が生まれます。たとえその先が飼い殺しであっても窮地を救ったのは唯一読売だったのです。大橋巨泉氏が指摘する読売の民主主義破りはそのとうりです。しかし当時のセリーグを代表する選手ひとりを救う事ができない残りの球団こそ、その事態を助長してるのです。
野村監督が選手生命の後半をフイにした広沢選手になんとかもうひと花咲かせてやろうという姿勢は春先から感じていました(その分大豊がワリを喰ってましたが...)。でももう遅かったのかもしれません。2割そこそこの打率、5本のHRはいくらタイガースでも.......
今日のテーマ
「ヒロサワの首位打者はヤクルトです。のです。(byいしいひさいち)」
10月10日のわたくし
ディレクターズマガジン10月号、昔登録してたのでクリエイタ派遣会社のクリークアンドリバー社(給食の先割れスプーンを作った人物がオーナーと言われている)から送ってくるこの雑誌なんだけど、業界情報誌としてもオピニオン誌としてもヌルいのであまり読まないのだけど、今回は「情報モラル最前線第一回 悪魔のソフト『グヌテラ』」というコラムで大爆笑。例によってNapster以降の音楽配信ソフトの糾弾なのだけれど、「悪魔のソフト」というのは笑った。お前はサブラベルズか。
だいたい「悪魔の〜」という呼び方は新しい技術やシステムや考え方が出現した時に、それが自分達の既得権益を犯す旧勢力と無知蒙昧な人々が口にする言葉で「権益」の問題を「モラル」の問題にすり替えて非難するという19世紀的方法論です。コラム執筆者はソフトウェアの教会(おお、誤変換だけどしっくりくるぞ!)もとい、協会の人なのでモロに旧勢力ですな。
もう何度もいろんな所で繰り返して言ってますが、現在の著作権ビジネスはお終いです。情報、インターネット上に存在するような情報はすべて無料化します。だって価格の根拠となる遍在性が確保できないのだから。有料なのはサービスです。サポートはこれから有料サポートが当たり前になるでしょう。
短絡的、近視眼的な「利益」を求める行為が、コンテンツ産業を衰退させ、著作権制度自体を蝕むといった事態が、今、私っちの目前で起きつつあります。(ディレクターズマガジン10月号 情報モラル最前線/久保田裕)
ここまでいかにコンテンツ産業が「短絡的、近視眼的な「利益」を求める行為」を行って著作権制度をタテに無法を尽くしてきたかお忘れでは?
今日のテーマ
「浪速の白雪姫、エクソシストの白雪姫のほうが上沼恵美子になるとは当時は誰も気付くめえ」
10月8日のわたくし
旧大日本帝国の大平洋戦争における大敗の原因は具体的には補給線の軽視だったと言われています。もともと資源的にも生産的にも圧倒的な差のあった当時の日米両国、南方の資源をまず確保して短期決戦で勝負という皮算用だったのですが、確保した資源を日本に輸送する手段がずさんだったので届かなかったというのがひとつ。前線で戦う事のみに重点を置いたためにあらゆる物資の補給が戦場にろくになかったといのがひとつ。なんでそんな事になったかというと日中日露とそんなやりかたで勝ってしまったので前例主義からの脱皮ができなかったというのが原因。
当時日本には全権を持った権力者というのはいません。あの菊のお方は事あるごとにいいわけとして利用されていただけという構造は現在の日本の集団(カイシャとかカンリョウソシキとかね)の行動からみても理解できますな。総理大臣を頂点とした政治家と独立した統治権をタテにした軍の指導者達の価値観が並び立ち、日本中ダブルスタンダード状態だったのです。当時の日本の軍人の価値観は実際に戦場で戦う事のみがモチベーションであり、情報戦であるとか補給部隊なんてのはいわば閑職だったのです。実際南方から石油を積んだタンカー、この最大の生命線である輸送プロジェクトを軽視し、軍は護送するのを拒否していたのです。結果としてアメリカの魚雷性能の悪さに助けられた戦争初期だけは日本に物資が届きましたが、中期以降はほとんど撃沈してしまったのです。
ま、そうなるといいわけ程度の対症療法をするのも日本人のお得意です。寄せ集めの間に合わせ護送団を結成。でも主力艦なんてぜったい寄越しません。大砲も電柱で作ったウソ大砲です。もちろんほとんど撃沈。お約束ですな、こうなると。お約束ついでにこのころから性能の上がった米軍の魚雷はおもしろいように当たります。
切羽詰まった日本軍指導者達は「本土決戦」とお題目を口にし始めます。本人は必死なのでしょうが、現在の視点から見れば阪神ファンの皮算用と大差ありません。その証拠に軍需工場を林の中に移すとかそういった友軍ドイツではあたりまえにやっていた国土防衛の手段をなにひとつやってなかったのです。「国体維持」といいながら責任回避しか考えて無いという集団指導者、いやになりますがこの50年ちいとも日本人て変わって無いのね、という感想です。
トドメに本土空襲です。サイパン陥落時点、沖縄戦以前に日本の敗戦は日本側にとっても明らかでしたが責任回避したい指導者達の決断力不足でズルズルと戦争は続行されます。人類戦争史上ダントツの犠牲者の数、おそらくこの記録を破る時は記録する人類自体がいなくなる時といわれるボロ負けは日本人の本質的に持ってる「官僚的体質」が原因なのです。ま、アメリカ側も無差別攻撃という反則技を使っていますが、そういった技を繰り出してくることも予想できなかった、予想もできないのに戦争を始めるという視野狭窄さ加減。場の空気だけで流されて判断するのはいい加減にやめようね。
今日のテーマ
「独立愚連隊椅子へ。」
10月7日のわたくし
連休なの、知らなかった。どうりで月曜日アポがないと思った。
トヨタの「カローラ」とホンダの「シビック」がフルモデルチェンジしましたな。ワタクシは最初のクルマが70系カローラSRクーペ、3台目がワンダーシビック25iなのですが、90年代になって両車とも失速してましたねえ、シビックはワンダー時代を頂点に段々と保守的デザインになっていき、カローラは国産代表の座をマーク2に明け渡すなど、ここんとこ影がウスかったのです。
カローラのプリウス風デザインは面白いです。ヴィッツ、カローラときてそのうちコロナもこんな感じで来るのでしょう。シビックもついに3ドアイメージをやめました。重ね重ねワンダーシビックの「バレットフォルム」以上のデザインはありませんでした。
しかしどうして国産車はバックショットのデザインがへたくそなのでしょう。車体の先頭からきたフォルムのラインを破綻なくきっちりと律儀にまとめたというデザインばっかです。Cピラーより後ろにはデザインが不在ですね。ヨーロッパ系のクルマデザインはこの部分は「破綻したデザインをどう見せるか」というテーマでやってますな。スパッと切ったっようなリアエンドが多いのもこの発想ではないかと睨んでいます。現行ベンツEクラス(特にワゴン)とか、フィアットクーペ(これを日本でマネするとFTOになるのだからイヤになる)、サーブ9000なんかがそうですな。
国産車ではセプターワゴンのリア(厳密には国産じゃないけど)なんかイイ感じです、あまりにもフロントマスクがつまんないけど。そういう意味ではワンダーシビックというのは卓越したデザインでした。剛性はへなへなだったけど。
どうして国産デザインが破綻なくまとまられるのか。これ以降は偏見。
なんか日本中に視野狭窄におちいった職人の自己満足が充満してるような気がする。昔黒澤明が「乱」かなんかの撮影で死体のメイクが気に入らないって自分で乱暴にぴっぴっと血糊を振り掛けてたのだけど、おそらくメイク担当がすぐその横から丁寧にその部分をなじませようとすると「そんなことするからダメなんだ」とキレたって場面。それを思い出す。デザインというのは目的があるからするのです。デザインが目的化してはダメなのです。手段の目的化、これはモノを作る人にありがちな視野狭窄なんですが、これにすべてがひっぱられてはイケナイ。特に商品を送りだす、つまりプロデュースサイドはこれにひっぱられてはいけないのです。カントクは「映画が撮りたい」でもいいけどプロデューサーはそのモチベーションで動いてはイケナイ。
今日のテーマ
「今日は長かったな、まあこのくらいにしといたろ。」
10月2日のわたくし
先日の文中「生もの地球紀行」は「生きもの地球紀行」の誤りでした。ナマコやビントロやシラウオを求めて紀行する番組ではありません。
マックG4cubeがとんでもないことになってるようですね。あいかわらずのPC系メーカーの対応もあってヤフーオークション最高値をつけてますな。そういう使い方もあるのか。
実はOTCのiMacも突然逆ギレします。現在の事務所はたしかに電圧が不安定なのですが、横にあるG4/350が平気な時でもすぐ逆ギレするので使う時は「ぼっちゃんエエ子やなあ。おっちゃんちょっといらわせてもらおかな」とべんちゃらを言いながら起動するのが通常です。でも「予期せず」FAXが来たりすると途端に逆ギレします。まるで織*裕二で映画を撮っている監督のような気分です。
G4cubeはさらに勝手に電源が入って勝手に切れるという使用者を無視した行動をとり続けるらしく、時々「再起動しますか?」とちょっとだけ意見を求めるフリをするそうです。勿論「いいえ」を選択しても「ぶおーん」と立ち上がるそうですが。もはやこれは「*りバカ日誌」撮影中の*山カントクの心境ですな。
今日のテーマ
「これ以上ヒドい状態として「松田優作主演作品の助監督」というモノがあります。」-
9月28日のわたくし
強化月間は10月です。もちろんワタクシが書きゃいいだけです。
YW(Yomiuri Weekly)10月8日号「PTAで薦めるTV番組って?」まだこんな事やってるのか。俗悪番組弾劾なんて70年代の遺物だと思ってたけど「稲妻!ロンドンハーツ」がやられたのか。基本的にこの手の運動に体する批判はもうこの2〜30年いろんな人がやってるから今さらやんないけど、ネットする子供だって珍しくないこの時代でメディアと向き合う姿勢が違うような気がいたします。だから以下は単なるツッコミ。
大笑いなのはドラえもんのしずかちゃんのお風呂シーンも問題なんだって。『のぞき』という犯罪だからだって。(大笑)
親が子どもに見せたいテレビ番組、見せたくないテレビ番組、子どもが見たい番組(小5、中2)の4つのランキングも載っている。親が見せたくなくて子どものほうは小5、中2ともランクインしてるのは「めちゃイケ」。さすが土曜8時。
だいたい親側のランキングはタイトルが違うのではないか?
親が子どもに見せたい番組---「面白い」という以外に理由付けができる番組
親が子どもに見せたくない番組---単純に自分が不愉快な番組
だいたい「生きもの地球紀行」を熱狂的に観るガキがいるかい。いたらそいつとは友達にならないよ。でも「見せたくない」第9位「志村けんのバカ殿様」はきっとイチローの連続首位打者以上に偉大な記録ではないのか!
でもこの「親」ってワタクシ世代なんだろうなあ、やだなあ。
今日のテーマ
「海に向かって石を投げると地球を一周して自分の頭に当たる。」
9月22日のわたくし
「バトルロワイヤル」の女子生徒写真一覧が各雑誌やWEBに掲載されてますが、みんな写真のバージョンが違うのはなぜ?東京映画祭でプレミアするみたいですね。
自家用車で新車を買うという事のメリットが解らない。ワタクシも以前には新車を購入した事もあったが(プレリュードXXでした)、その車種に入れ込んで絶対これでないと、という状態以外は中古車を購入するのが自然なのではないか。例えば新車でカローラを買うメリットってなに?
カローラ、シビッククラスでも全購入価格は200万円弱。それだけの予算があればメルセデスならCクラス、ボルボなら850エステートが買える。シビックなら平成初期の25Xあたりならヤフーオークションで5万円というところだろう。そのシビック買って車検で10万かかっても15万。はっきりいってバブル以降の自動車は壊れる可能性も減っている。壊れても修理するだけでまあシビックの修理で20万以上する事はない。(ならまた5万で買えばイイんだもんね)
例えば年老いた夫婦が「終のクルマにしましょう」と丈夫そうな車種を10年以上乗る、というのは解らなくもない。クルマに煩わせられるのはもうイイやというのも理解できるのですよね。でも新車買って3年とか5年で乗り換えるというよくわかんない人は多いハズ。なぜなら3年落ちや5年落ちの中古車は多いから。
ようは皆リスクヘッジしか考えてないのね。リスク、つまりこの場合は壊れたらどうしようという事ばっか考えてる。年老いた者がリスクヘッジするのは当然なのだけど、若いうちからリスクヘッジばっか考えてる。自動車の故障なんて実はたいした事ないのにそれに怯えて回避する事に過剰になってる。
でもね、どんなにリスクヘッジしても危機というのは一定確率でちゃ〜んとやってくるのですよ。へへへ。その時危機管理できます?そんな時に「なぜだあ!」と叫んでもダメなのよ。人生の選択ではハズレくじはちゃんと混じってるのです。
今日のテーマ「ざわ」
9月21日のわたくし
更新をばっくれておりました。実は最近MPの残りが少なくて画期的思い付きというのがなかなか出てきません。こういう時は貪欲にインスパイアされるものを探して放浪するのですが今回はまだ金脈には触れて無い様です。
自分は加害者意識が過剰なのだと判ったのはごく最近の事です。なぜ判ったかというと以前のこの欄を書いていた時に判ったんですけど、それまで「どうして被害者意識過剰な人が多いのだろう」と思っていたんですね。なんのこたあない自分が加害者意識が過剰なのだと37年目にして気が付いた阿呆ですわ。
まあ被害者意識過剰な人はやっぱり多いのですね。このタイプとワタクシのようなタイプが交わるとロクな事にならんです。物事のスジというモノがぐちゃぐちゃになりますから。なんか互換性ゼロですわ。
なんか今日はよれよれの文章ですな。
今日のテーマ「んが」
9月15日のわたくし
20年くらい前、関西テレビで19時から「誰がカバやねんロックンロールショウ」という番組をやっていた。今考えるとよくゴールデンタイムにやっていたものだが、番組タイトルと同名バンドが登場して2曲演奏し、ゲストのバンドがさらに演奏する。ゲストもソーバッドレビューだのバーボンストリートバンドだのテンソーだのとホントに今考えると「ゴールデンタイム向けではない」バンドが並んでいた。
当時、関西のロックシーンはこの「誰カバ」や「サザンクロス」「バーボンストリートバンド」「憂歌団」などが群雄割拠し、大阪梅田の百又ビルの地下には当時日本最大といわれたライブハウス「バーボンハウス」が開店し、年末オールナイトをTV中継したり、ポリスが京都西部講堂で伝説のライブを行ったりと元気だった。
東京から発信されるマス情報より一段階リアリティが感じられるこういったモノに、当時ミドルティーンだったワタクシは魅力を感じてさまよっていた。現在廃虚となっているロック喫茶キューピッドで、バーボンハウスで、西部講堂で、コミュニケーションを求めていた。考えてみれば同時期に岡田斗司夫氏はDAICONをやっていたのだから当時の関西にはいろいろなものがうごめいていたのだ。
バーボンハウスはとっくに閉店している。誰カバは数十年の休養に入っていて10数年程前にボーカルのダンシング義隆氏が「ダンシング義隆とギタリスト50人バンド」というバンドをやっていた。サザンクロスは初期大江千里のバックをやった後は知らない。
もうこういったシーンに需要はないのだろうか?
今日のテーマ「兵共が夢の後」
9月8日のわたくし
インターネットは儲かりません。誰かいいかげんに産業界のおじさま&ベンチャーの人々に言ってやれよ。ホントに。
すべての情報が並列化するネットの世界で売り上げを上げるのはムリです。いまだに課金システムとか開発しようとしている人々もいるようですが、ムダですからおやめなさい。たぶんこのWEBブームのようなものは今がピークで3年後には変質してるから今開発しても完成した時にはもう無用の長物ですから。
ネットデザイナーとかネットクリエイター的な職業も3年後にはヤバい。あらゆる意味で参加、参入のハードルの低いネットにおいてこの先どういうアドバンテージが有効なのか考えればすぐ解るでしょ。
あらゆる中間搾取を排除する力のあるネット。これをどう解釈するかで大損こくかどうかの分かれ目になる。今までいろいろ新しいメディアが出現した時に人々はどうにかしてそのメディアに制限を加え、ある種の地域格差を創出した、だから商業的に魅力がでてきたのです。しかしネットは制限を加える主体が存在しないので永遠にフラットな世界が続く。
ワタクシの見るトコロ、そろそろこれに気が付いて次のステップに移る企業が登場する頃です。たぶん次に皆が考えるのはネットのクローズ化でしょう。つまりある種のニフティ還りですね。ニフティって何も考えて無いから、あのアドバンテージをなくしてしまったけれど実は95〜97年あたりのニフティには現在、そしてここ数年先くらいのネットにあるもののすべてのタネがあったというのがワタクシの結論なのですがね。
もっとも今ニフティやるのは大変ですよ。どうやって広場に囲いをつくるのか、まあ可能な者は限られているんですけどね。
今日のテーマ「たったひとつの冴えたやり方」
9月6日のわたくし
増刊ヤングチャンピオンバトルロワイヤル総集編を買う。脚本が深作監督の息子と知って「うむむ」と唸ったり、あいかわらずスタッフ名がどこにも無いのを不思議に思う。が、なにより.........
前田亜季にハマる。
なんてこった、ワタクシは分別のある37歳である。15歳の少女とはダブルスコアどころかトリプルも近い。これではキャプテンラブと同じではないか。いや、彼は以前から前田姉妹には命を張っている。もはや今参入して勝ち目はない(何の?)。ここは先達の志士として御意見を伺おう。
思えば3ヶ月程前に眞鍋かをりはいいなと思っていたのだが、2週間前には三輪明日美に萌えかかった。数年前直接インタビューした時には何も思わなかったくせに、いや、当時も可愛い子だなとは思いましたよ、ある種、第三者的にね。場所も路上〜地下鉄というシチュエーションだったけど萌えはしなかった。もっとも仕事でインタビューしてて萌えちゃいかんけどね。そして前田亜季かあ、なんか方向性というか一貫した好みがよく見えそうだけれどここで冷静になってもつまらんのでワタクシ萌えます。
萌え萌え萌え萌え萌え萌え萌え萌え萌え萌え萌え萌え萌え萌え萌え萌え萌え萌え萌え萌え萌え萌え萌え萌え萌え萌え萌え萌え萌え萌え萌え萌え
大丈夫か、ワシ。
今日のテーマ「電波襲来」
9月5日のわたくし
いきなり努力目標設定宣言後、ばっくれてしまったこの欄。マックOS9.0.4が安定しなかったとかいろいろ言い訳はあるのですがまずは反省しましょう。いいかげん大人なんだからさ!
「演歌は伝統的な日本人の心」という大ウソコピーがあります。演歌というジャンルが昔から日本にはあったかのような言葉なのですが、演歌ははっきりいって新しいジャンルの音楽です。おそらく1960年代が発祥ですからロックより新しい。元々戦前からあった演歌というジャンルは非常に政治的なモノだったようです。書生節の変化したものという説もあるようで、どっちにしろ今の演歌とは別モノなようです。
現在の演歌は1960年代に異常に暗いモノが流行った時代があって、その頃以降に定着した音楽が現在に至っているようです。あの被害者意識の塊のような歌詞と空白恐怖症のようなびっしり詰った音はまさしく60年代の流行歌なんですね。
そういえばこのところビデオで60年代の邦画を観ているのですが、4本続けて主人公が殺される結末でした。全部三船敏郎だったんですが....どうしてこうマゾヒスティックな快感に浸るのが好きなのかなあ?と思っていたんですけど、我慢の美学とかハードボイルドってマゾ快感ですものね。
エンターテイメントにおいて権力/大衆って二分法を用いた時、マゾヒスティック快感で物語を作るのってみんなうまいなあと単純に感心してしまう。
今日のテーマ「やっと涼しくなりましたね」
9月1日のわたくし
9月です。今月は少なくとも36時間に一回はこの欄を更新するというのを目標にするとしましょう。いったんは義務と書いたのに目標と書き直すところが既に負けている。
クイックジャパン32号の「バトルロワイヤル通信」における深作監督インタビュー。まあワタクシの予想通り「今の中学三年生の子は...」「触発する側と触発される側」「家庭が崩壊し、学級が崩壊する」という単語が並ぶ。そういった「恐るべき子供達(=社会の歪みの結果、象徴)」という話しじゃないんだけどな。まあ本人も勝手な解釈の確信犯らしいのでここは完成を待ちましょう。
「誰でも光になれる」はウルトラマンティガだが、やはり誰でも加害者になるし、被害者にもなる。その加害者としての意識を自分の中でしっかり認識できないのが普通なのだろうか?組織中心で個人の責任を曖昧にする日本のシステムはこの加害者の自覚を感じさせないようにできている。マンガ、映画、ドラマ、最近加害者の自覚のある主人公に出会っていない。ウルトラマン、中村主水、三十郎、大賀誠、サディスティックな加害者型主人公は消えたのだろうか。
加害者と加善者(こんな言葉あるのか>自分)は紙一重、他人に害を与える事を自覚する者は他人に善も与える事ができるはずで、誰もが加害者にならずに生きていく事はできない。どう否定しようと他人に害(善)を与えて、与えられて生きていくのだ。被害者意識しか持っていない人物は最下層の人間であると言い切っていいのかもしれない。それは他人との関係が与えられるだけの一方通行としか認識できないから。
今日のテーマ「こら15対1ってなんやねん、薮」
8月29日のわたくし
どのくらい一般に知られているかはわからないが、実はBETAMAXは生きている。VHSにすっかり駆逐されて絶滅したと思われているが、映像業界、特に放送業界ではベータの放送業務規格であるベータカムは今日まで主流なのです。ベータ1の数倍の早さ、つまり通常の500テープの長さで20分、750テープの長さで30分というこの2種類のテープでロケーションや収録を行うのが通常の放送番組です。また長尺モノのためにラージテープという3倍くらいの大きさのテープがあってこれは90分まで対応しています。
ちなみにベータカムのデッキは一番安い再生専用機で58万円、一番高いデッキは595万円でありまして放送局、特に報道スポーツなどの生放送セクションにはこの595万円がぞろぞろと置いてあり、その前では疲れた顔か血走った目をしたディレクターと編集さんが平気でタバコを吸っています。(もちろんワタクシも吸ってました)
いっぽうVHSの放送業務規格であるM2という規格はワタクシ見た事ありません。そのデジタル版のD3というのはNHKの納品規格だそうなので一部の編集プロでたまにみかけます。
日本の放送で最初に普及したビデオ規格は2インチのオープンリールでその初期には実際に編集はテープを切り貼りしていたそうです。デッキも軽自動車くらいの大きさで温度管理がたいへんだったようです。その後小型化した(といっても冷蔵庫くらい)1インチが普及。神奈川の某局ではある日突然1インチになったので技術担当が2インチのテープを縦に半分に切って使ったそうですが、この1インチは今でもたまに編集プロにあります。
ここまではデッキを持ち歩くという発想のないビデオですが、ここにUマチックというカセットに入った3/4インチのテープが登場します。昔のテレビドラマはスタジオ収録はビデオでロケはフィルムというのが当然だったのですが(解らない人はモンティパイソンのビデオを借りて見て下さい)これでオールビデオとなります。それが80年代初頭から少しずつベータカムになっていくのだからもう20年近く使われているのですね。
その後もD1、D2、D4、民生DVの業務規格のDVC-PRO、DV-CAMといろいろな規格が出てきましたが最近顕著に使われているのはデジタルベータカム。結局ベータです。この手の放送業務ビデオって壊れたら「3時間以内に代替え機もってこい」の世界ですから、耐久性は抜群です。「それは仕様です」とスッとぼけていたら大暴れされる世界ですからまだまだAPPLEができるようなアマい市場じゃないですよ。
今日のテーマ「FinalCutProはたしかに便利だが使いにくい事この上ない、アホ」
8月28日のわたくし
いつの頃からか記憶にないが、ROCKのライブにおけるアンコールがおざなりになっている。アンコールの拍手自体が「どうせアンコールやるんだろ」的な思いなのか、ほとんどない。じっと待ってるだけなのだ。出てくるほうもやらなきゃいいのにお約束とばかりに出てくる。なんでこんなに横着になったのだろう。昔アンコールに答えなかったバンドのライブで暴動が起こって、その後武道館でのライブでは10年近く席から立つ事ができなかったなんてもう考えられないのだろう。
カーオーディオにおけるCDチェンジャー。長い間こんなモン誰が買うのだろうと思っていた。6枚だか10枚だかのCDを交換するのにいちいちトランクなり座席の下なりのマガジンを取り出して入れ替えなきゃいけないのである。その答えはだいぶ前に寺西氏が言ってくれた「ああいうのはモーニング娘と浜崎とマライアなんかが一年中入ってて平気な人達のモンです」彼もワタクシも一枚掛けCDを使っている、もちろん車内にはCDが散乱している。
某メジャーレコード会社の重役が「最近売れているインディーズというのをウチでもやれないのか!」と発言し、結構真剣に実行されようとしている。それはたぶんインディーズではないぞ。
日本には音楽好きはほとんどいない。おそらく100万人いないのではないか?だから音楽好きにアプローチするための商品や戦略はほぼ存在しない。だからレコード会社のディレクタも「企画モノ」としてしか商品企画ができない。でもね、その100万人に訴求して、その100万人を105万人、110万人と増やすのがアンタ等の仕事なのよ。それをサボッてきたツケが今音楽業界に廻ってるだけなのよ。
うんうんと頷いてる映画業界とかビデオ業界とかゲーム業界の方々も同じですよ。アンタ等はエンターテイメント業界にいるんだからサラリーマン的に仕事をこなしてりゃヨシというのは自らの首を絞めてるのよ。
今日のテーマ「るさんちまん」
8月25日のわたくし
やっと今頃になって「ウルトラマンティガ/FINAL ODESSEY」を観ました。映画館で観損ねていたのでビデオ化を待っていたのです。
テレビシリーズの最終回の後日談で、ダイゴとレナのそれからを中心にしたある種のホームドラマ(悪くとらないでくださいね)でした。結婚前に昔の女(30000000年前!)が出てきてヨリを戻せと迫る、「昔は一緒にビッとしたカッコしてハンパな奴をシメて歩いたじゃない、もいっかい昔のアンタに戻って」とミッチョンにいわれてもなあ。レナちゃんも旦那に疑心暗鬼にならずに信じてる。イイ嫁やなあ。ちなみにレナちゃんというとオジサンは「桃尻娘」を思い出してしまう。竹田かほりにはあこがれたなあ。
しかし「ティガ」世界ってこれですっかり完成してしまいましたね。これからオリジナルビデオでダイゴとレナの子供の話をやるそうですが、まったく違う切り口にしないとホントに蛇足っぽくなっちゃいそうです。
ワタクシは完成されてない「ダイナ」の世界にちょっと今興味を持っています。映画でもスーパーガッツメンバーがでてきた時の親しみはティガメンバーの親しみより上だったかもしれない。まだ「ダイナ」の世界には語っていない話がいっぱいありそうです。ティガとガイアのメインライターである小中さんが関わって無かったり、あのハイテンションだったティガの最後を引継いだため、テンションがさがっているように見られがちだったり、なにかとイメージ的に損をしているダイナですが、隊員達のキャラクターが一番濃いのはダイナでしょう。ムナカタ隊長はワタクシ好きです。山田まりやちゃんは「隊長は普段からあのまま変わらないです。」と言っていました。今度のオリジナルビデオではハネジローが帰ってくるようで楽しみです。
実は「ガイア」も渡辺コマンダーがストレイカー司令官のつもりで演技しているのがおかしかったりして好きなんですが、それはまたの機会としましょう。ちなみに関東地区、TBSでの「ティガ」の日曜早朝再放送は今週はいよいよ上原正三さん脚本の「ウルトラの星」です。ティガと初代ウルトラマンの共演ですね!
今日のテーマ「ULTRA HIGH!って現場で評判悪かっただろうな」
8月23日のわたくし
さて、きのうの続き
ライブが終わって「いや〜よかったですわ」と声を掛けてきた男。興奮しているが、当然こっちも興奮している。何を会話したのか全く覚えていない。しかしその男は翌日、大阪ミナミのライブにもやってきて最前列でむちゃくちゃノッている。終了後「いや〜よかったですわ」きのうと同じセリフ。ホントに気に入ってくれたらしい。「連絡先教えて下さい、ワシもバンドやってるんですわ。こんな素晴らしい音を出している人達に聴いて欲しいんですわ」なぜか異常に印象の残る男、大阪にはこういう底知れぬ男がいるのかとメンバーもやってきて一緒にメシを食って仲良くなって大阪ツアーを終えた。
数日後、あの男から郵送でデモテープが送られてきた。60分テープ表裏びっしりと26曲!これは想像を絶したスゴい奴かもしれない。内容も「おもちゃ箱をひっくり返したような」という表現がピタリ当てはまるハードロックと歌謡曲とディズニーとお笑いがミックスされて榊原郁恵で煮染めたようなおもしろさ。ただ、ボーカルは音痴だった。ギターのチューニングは狂っていた。リズムはヨレていた。そう、むちゃくちゃヘタではあった。でも気に入ってしまった。カセットケースにはバンド名が書いてあった。「すかんち」そう、あの男とは寺西一雄、現在のROLLYである。
3ヶ月後に再び大阪ツアーをした我々の前に「すかんち」はその姿を現した。対バンだったのだ。延々と続く寺西ギター漫談、どこかで聴いたフレーズのコラージュ、すでに3ヶ月前に演奏した我々の曲もちゃんと取り入れていた。ヒゲ剃りまで使ったエンタテイメントステージ。こんなヤツらは見た事ない。取り澄ましてロッカー然としているのが当然と思っていた我々の価値観はこの日を境に変わった。ワタクシはというとそれから今日まで彼との腐れ縁ともいう付き合いが続いている。それからの彼や彼等との楽しくもせつない日々の話もあるのだが、それはまた別のお話。
今日のテーマ「GoGoチアガール!(最初のすかんちの曲)」
8月21日のわたくし
この欄の更新を一日さぼるとテキメンにアクセス数が減ります。ワタクシは三途の川の子供のように石を積み上げるしかないのですね。(泣)
昔から疑問だった事、どうして皆「うまい、ヘタ」で物事を考えるのだろう?ということ。10代の頃、アマチュアバンドをやってる連中は皆「うまいバンド(プレイヤー)になる」のが目的だったように思う。スーパープレイとか超絶のテクニックなんてのがもてはやされていたんだけど、面白いバンド(かならずしもこれは「おかしいバンド」という意味と同一じゃないよ)になろうという人は少なかった。でも「うまいバンド」ってあんまり面白いとおもわなかったワタクシはだから当時いっぱいあったフュージョンバンドは興味なかった。もっとエンタテインメントなバンドはないのかなあとライブハウスにいくたびに思っていた。
20歳の時、友人のアマチュアバンドのブッキングとかのマネージメントをやっていた。そのバンドは新しいボーカリストが入ってからすごいメロディアスで印象的な曲を演奏するようになった。演奏自体は未熟だったけど。多摩地区のライブハウスでちょこちょことライブしていただけだったそのバンドを「東京では大人気のバンド」のフリをして関西ツアーを企んだところ、動員的にもリアクション的にも大成功のライブだった。ちなみにそのボーカリストは森重樹一という。(結婚オメデトウ)彼にとってもあんなにウケたライブは始めてであったろう。アンコールがやまなくて合計5回もやった。忘れもしない、1983年6月6日の大阪枚方ブロウダウンでの事だ。今残っているテープを聴いていてもその観客のエネルギーとうわずったプレイヤー、そしてその上を行くうわずり方をしたワタクシの怒号が記録されている。
そんなライブが終わった直後、「いや〜よかったですわ」と声をかけてきたひとりの男がいた。この男ともその後10数年に渡って腐れ縁となるのだが、それはまた明日のおはなし。
今日のテーマ「ちょっと引っ張ってみました」
8月20日のわたくし
映画「バトルロワイヤル」の制作発表があったようです。なんと高倉健映画の延期によって東映の正月映画。詳しいスタッフはネットでは発見できませんでしたが監督は深作欣次(もう70歳なのですね)、出演者は北野武がキタノ教諭という役名で出る他、3年B組の面々はこちらのページ。
原作の坂持教諭のキャスティングが武田鉄矢でない以上はこのキタノ教諭というのはなかなかいいキャスティングだと思う。B組の面々も相馬さんがあまりにもスケ番然としていたり、とても中学生に見えない人が一部混じってたりしてますが、こういうのは画面に定着してみないとハマリ役かどうかってわからない場合が多いので判断保留。おそらくのメインコピーが「今日はちょっと、君たちに殺し合いをしてもらいます」。慇懃で無礼な感じが良く出ていて原作でも印象的だったセリフです。
公式ホームページを見て、気になった点がひとつ。「多発する少年犯罪」とか「大人の尊厳の回復」といった理由でBR法(バトルロワイヤル法)が制定された設定となっているのですが、この物語が「大人対こども」の二元論的価値観で作られる危惧を抱きました。もちろん原作も「国家対個人」であるとか「権力対反権力」「大人対こども」という対立構図を抱えていますが、そういった単純なレジスタンス映画にならない事は祈りたいですね。先日この欄で引用したセリフでもわかるように「我が内なる大東亜帝国」といったものとの折り合い、もしくは決着といった視点が欠けていると単なる被害者意識の肥大したレジスタンス映画となるような気がするのです。その被害者意識こそが赤松君をヤル気にさせたり、祐子ちゃんがとった行動の原因なのだから。
実はもうひとつ気になってた点。2時間やそこらでこの原作を丹念に映像化している余裕はまずない。各生徒のキャラクタの描き分けなんていうのもある程度ばっさり端折る必要が出てくる。すると一番安易なまとめ方はこの物語を七原君というヒーローと中川さんというヒロインのアドベンチャーものにする手なんだけど、これって川田君を入れるとまったくルーク、レイア、ハンソロみたいだよね。そうなりませんように。原作の面白さって実は続々と倒れていく生徒の感情の動きだったりするのだけれど、そこは映画じゃ無理かな。連ドラのほうが描きやすいかもね、でも現状のテレビの枠でも別の意味で無理な企画だもんね。いっそ東映得意のシリーズ化にしましょう。勿論続編タイトルは「死闘編」「代理戦争」「頂上決戦」「完結編」ね。
今日のテーマ「で、脚本は誰?」
8月19日のわたくし
「仮面ライダークウガ」、実は一回もみてないんです。日曜の朝は以外に起きている事が多いのですが、「ティガ」を観てからなんやらかんやら用事をしているといつのまにか「サンデーモーニング」が始まっているのです。「ティガ」はいよいよテンションの高い最終局面ですね。
最終3部作前の「ウルトラの星」は本放送当時テレビの前で久々に歓喜した30分でした。あの当時の円谷プロへの想い、金城哲夫氏への想い、あの金城哲夫氏というのは誰が演じても同じなのですね。「私を愛したウルトラセブン」の佐野史郎さんも、この沖田さんも、なんとなくふたり重ねると当時の金城氏というキャラが見えてきそうです。
映画がまだまだ娯楽の王者だった時代だからこそ、その余韻、微熱のようなものを資産にして若い衆が集ってくるテレビプロダクションという新興産業。その幸福な時への想いは当時の視聴者であったワタクシにもあるのです。
ほんとうは某所で市川新一氏が述べておられたように「某勢力の円谷文藝部潰し」「リベート疑惑」などの生臭い裏面もあったようですが、そういった事も含めてテレビ幼年期のアツさを感じます。そのアツさを視聴者として受け取ってしまった為に現在わたしゃTV業界にいるのです。企画をキャストでしか見られないプロデューサーと全体のシステム。スーパーテロップの色と出し方を考えるのが演出だと想っているディレクター、ルーティンワークをこなすだけの放送記者、それが産業として成熟した姿なのかどうかは内側から観ているわたくしには判らないけれど、そういったアツいモンをもいっかいやってみたいよね。あ、でも自己満足じゃダメよ。
今日のテーマ「フジアキコだけなんでフルネーム?」
8月17日のわたくし
「パーフェクトストーム」観てきました。久々のパチもん映画。ジョーズを期待して「オルカ」を観た時を20年振りに思い出しました。何であんなに前半がもったりしているのだろう?
上映まで時間があったのでビレッジバンガードの横浜店を覗いてみました。本、おもちゃ、CD、アクセサリなどがまったくフラットに、かつ雑然と並んでいます。そこでは「本」とか「おもちゃ」とかいうカテゴリーは意味がないのですね。スタートレックのフィギュア、その隣が安斎さんのスタトレ本、その隣が宇宙大作戦のビデオソフト。一応本屋という事になっているらしいこのお店、面積あたりの売り上げがひじょうに高いらしいんですね。おたくセレクトショップというわけでしょうね。
読売巨人軍はこのまま嫌われながら優勝するのでしょうな。しかし巨人ファンというのはどうしてああなんでしょう?他の11球団のファンは少なからず自分の好きなチームへの批評、批判性といった思考回路を持っているものですよね。阪神ファンなんて最たるもんで、しょっちゅう批判ばっかしてるような気がする。でも巨人ファンてもうなんか思考停止してて勝てばよし、勝てないと戦犯探し、なんか幼児性が丸出しなファンが多いと思うのだがどうでしょう。基本的に組織に対する批判を許さないといった風土を感じてしまいますね。あ、そうか巨人『軍』だからか。
今日のテーマ「ヘッドの重さを感じて打ちました」
8月14日のわたくし
スターウォーズエピソード2のニセ予告編はダウンロード100万を超えた人気らしい。ファンが勝手にエピソード1やブレイブハートなんかのVTRを編集して公開した、まあ一種のマッドビデオなんだけど、もちろんワタクシもダウンロードしました。えらいのはジョージルーカスで、「楽しみかたのひとつで、ファン活動のひとつ」とクレームをつけない方針らしい。役人根性が隅々まで行き渡ってる日本の社会じゃまず考えられない。コンテンツビジネスとは守るものではなく、拡げていくものなのだ。
VTR編集のハードルは年々下がっている。ちょいと気のきいた人なら、PCとDVカメラかデッキと編集ソフトでけっこうな映像ができる。プロのクリエイターでも「クリエイターでござい」と安穏としていると化けの皮がはがれる時代も近い。公開さえ考えなければ「七人の侍」に高倉健を加えて八人にするのも「ゴジラ対ガメラ」をつくるのも自在だ。そういった中で従来のクリエイター至上主義は崩壊していくのかもしれない。そういったのってもういいよってね。
個人的に知己でない人間に対してあんまりリスペクトって感情は抱いた事がない。クリエイターに対しても「楽しませてくれてありがとう」という感謝の念や共感のような感情は抱くのだが、どうしてもリスペクト、尊敬の念は抱かない。もちろんワタクシ、基本的に尊大な人間ですからっていうのもある。でもなんか無責任じゃない、そういうのって。「ウルトラマンがんばれ!」って安全なところから言ってるみたいで。そういう無責任な依存てしたくない。
今日のテーマ「微妙に繋がっている三つの事柄」
8月13日のわたくし
突然企画を思い付く。勿論思い付きなので他人に話すと「ふ〜ん、それで」という自分人生上最も見慣れたリアクションが返ってくるのは判ってるんだけど、この思い付きがカタチになった時のカイカンはきっと真鍋かをりに愛を告白されるのとタメを張ると思う。勿論後者は「ぜったいありえない」妄想なので前者のカイカンは事実上人生最上快感であろう。ちなみに「地球防衛放送パンドラ」の8割はワタクシのこの思い付きで作られているのね。大変なのは具現化するディレクタの人達だったの。なぜおかまことばなのかしら。
思い付きそのいちは、角川春樹が「これからはSFだあ!」と叫んでいるという事を聞いて。「ふ〜ん、まさかなあ。でもこの人91年頃に『これからはホラーだあ!』って叫んで冷笑されてたけど結局「リング」からホラーはきたもんなあ。SFかあ」と考えてるうちにアタマの上に電球が点った(歴史的表現)。『体感時間が人それぞれ格差が出てくる』『ある人間は体感時間も物理的身体時間も早い、そしてある人間は遅い』『当初は標準時間よりプラスマイナス5%位だった格差だが、20%、25%という新生児が生まれる』『当然社会的格差や差別が生ずる』ってな事項が浮かぶ。映像化すると面白そうなんだがもうちょっと具体的でないとな。アタマの中の引き出しに入れる。
思い付きそのには、テレビ番組祭、もしくはテレビプログラムコンベンション。SF大会、特に今年の「少年ドラマの部屋」やネットに多数ある過去のテレビ番組ホームページとそのビデオ化運動や上映会なんかから今思い付いた。『過去番組の上映会プラス座談会、パネルディスカッション』だけでも魅力的だとは思うのだけど。元々ワタクシのおたく趣味も中学生の時に「あ〜ウルトラQが見てえなあ」から始まってるし、オタクテレビってテレビ好きってコンセプトもあったし、だいたいスカイパーフェクTVってテレビ好きの見るもんでしょ。うん、書いていてイケるような気がしてきた。止めるなら今だよ、野田君、あ、夏休みか。これはアタマの中の引き出し『常用』に入れよう。
とりあえず放送番組ライブラリ−で考えようっと。ここは日本唯一の過去のテレビ番組の図書館で、仕事のないうらぶれたディレクタだったワタクシは一時期しょっちゅうここで時間をつぶしていたのだよ。勿論無料だからね。引っ越して駐車場がなくなったのがイタい。ちなみにホームページはここ
今日のテーマ「テレビにらめっこ」
8月13日のわたくし
続くと言いながらやはり毎日書くのはつらい。こんな事では山藤章二さん挿し絵で夕刊フジにコラムを持つ事はできない。ちなみに7月30日にリニューアル創刊された日本初のラウドミュージック音楽誌「GRIND HOUSE magazine」でちびっとコラム書いてます。書店やレコード店で見かけたら買ってね!
アニメに興味のなかったのがどうして観るようになったか。一言で言うと「我慢して慣れさせた」のですよ。これは絶対おもしろいはずだと自分の第六感が発していたし、なによりも「面白さを理解できない」というのは自分的にはかなり重罪なのでとにかくビデオを借りて(後半は友人から借り倒して)3日で観たら、オモロイがな。いろんな自分の感性の保守的な部分が崩れていくのも爽快感があったし、自分内の「オモロイ金脈」をまた探しあてた快感がたまらんかった。まあイカリシンジ君に感情移入はしなかったけど。だってあれじゃん、アタシャどっちかというと根本的に世界は自分中心に廻ってるというタイプだし。まあ、結果的にはその後20日間で「ナディア」全話と「トップ」と「王立」を貪り食うのだが、この時の甘美さは解るよね、こういった時の快感のためにいろんなモノをいっちょ咬みしてんだから。
歳を取るとだんだん保守的、というより自分の従来パターンを崩したくなくなってくるのは自分とて同じ。でもそれで自分的無風状態の中で安穏とするのはどうやらできないらしい。これは「革新的なオレ」という自慢ではなくて、その安穏とできない原因が刺激への欲望の強さだと思うので、なんのことはない、欲が深いだけなのね。それを業とか呼ぶのもあるんだろうけど、基本的にすべてを吸収したい欲深なワタクシがいる。これがヒトツのおたく観だと思うんだけどな。
今日のテーマ「Desireの一曲目はハリケーン」
8月11日のわたくし
実はアニメはまったく詳しくない。幼少期を除くとはじめて真剣に全部観たのはエヴァンゲリオンである。ガンダムもイデオンもマクロスもほとんど観てない。昔「ヤマト」を観ないで「猿の軍団」を観ていた。ウルトラマンシリーズも「ザ・ウルトラマン」だけは.........あ、これはいいのか。
20年程前、大阪では浜村淳のアニメ番組があった。それだけでも今思うと気が遠くなる事だけど、その(もちろんラジオ番組だよ)番組ではアニソンを掛ける時にはエアチェック(死語)するリスナーのために浜村淳が「3、2、1音楽スタート」とカウントダウンする番組でもともとはアニメ番組でもなんでもない「浜村淳番組」だったのだがいつのまにかアニメ番組となっていた。当時でもだいぶ気が遠くなったものだった。
で、その番組で新番組「ザ・ウルトラマン」の事を例によって例のごとく浜村淳が喋っていた。「こんどのウルトラマンは今までとは違う。凄い!なにがすごいかというと、今までの実写と違ってアニメだからどんなことでもできる!」浜村淳は魔術師なのでどんなクソ映でもクソ番でもホンモノ以上に面白く語るのは有名である。浜村淳の番組でを聴いて映画を観に行くとおそろしくツマラン映画だった経験をもつ関西人は推定2000万人と言われる。ホンモノの映画より浜村淳の語りのほうが数倍面白いのだ。
でも「ザ・ウルトラマン」は観なかった。ハマムラマジックでも僕の琴線に触れる事はなかったのだ。なんでそんなにアニメに興味を持たなかったのか今となってはけっこう不思議でござる。(疲れたので続く)
今日のテーマ「ありがとう浜村淳です」
8月9日のわたくし
なんだかんだ言っている間に日本の純国産自動車メーカーはトヨタとホンダの2社だけになっている。マツダはとっくにフォードだし、三菱はダイムラークライスラー、日産はルノー、いすず、スズキはGM、スバルとダイハツは元々日産とトヨタの子会社のようなもんだし。
日本てホントに製造業の国なのね。モノが売れないとテキメンにこうだもんね。非製造業でワールドワイドに大きくやってる大企業って日本にあったっけ?
ワールドワイドといえばワーナー映画の日本進出第一弾、「さくや」がけっこうスポットCMを打っている。監督の原口智夫さん、脚本の光益公映さん、そして出演者の逆木圭一郎さん、みんな大学のサークルの先輩方なのでヒットを祈りたい。今度会ったら果たしてハリウッドスタイルの制作だったのか日本スタイルだったのか聞いてみたいし。
聞いてみたいといえば倉木麻衣(今頃だけど)。前から思っていたのだけどパクリって悪なのだろうか。過剰にオリジン信仰、オリジン崇拝があるみたいに思うのは僕だけか?と思っていたら岸信介化の進む渋谷陽一が同じような事を書いていた。むむむむ.....
渋谷陽一といえばロッキングオンだが、その昔某監督のインタビューで場所がロッキングオンと指定された(その前の取材がロッキングオンだったようだ)ので待っていたら渋谷社長が3分おきに通る。それも何かに気を付けているといった風でもなくなんとなく巡回しているのだが、やはりベンチャーの社長たるものは常に動いていなければならないという事を体現していたのだろうか?
今日のテーマ「ネタがうかばない時は思い付きで。」
8月6日のわたくし
まあ、もう限界だろうタイガース。今年はシーズンに入ってからハートキーとか吉田剛とか根本とかフランクリンとか素晴らしい場当たり補強に明け暮れたがなにしろ坪井と今岡と大豊と広沢とバトルとタラスコと的場と桧山とミラーとラミレスとハンセルと星野と薮が不調では新庄以外全滅である。
そもそもどうしてこの阪神球団という会社はこぢゃれた2番タイプと線の細い投手を新人で獲得し続けるのか?ドラフト上位のスラッガーは岡田以降だれもいないのだ。誠はどうした!この10年新庄しか育っていない打撃陣は監督コーチの手腕以前に球団の方針が狂っていると言わざるを得ない。
肝臓に障害があっても亀山がいればこんなに打てない打線ではなかったはず。その亀山を育てられないのならゴーグル男宮内をクビにする意味がわからん。中野はまだまだ現役を続けられたのでは?せっかく慕ってFAした進藤をどうした!郭李を潰し、田村を塩漬けにし、弓長を塩漬けにして竹内を放出、杉山は獲得に何の意味があったのか?薮のテーマはなぜウルトラマンガイアなのか?カツノリと岡田はどっちが藤山寛美なのか?そういえば副島はスカイビューティーズに電話番号聞いていたらしいがうまくいったのか?(一部別球団有)
このうえ来年清原がやってくるなんてことになったら........
でもきっと大歓迎するんだろうなあ。でも今のタイガースに必要なのは「もうバカやってらんないしぃ」という元不良ではない。気違いが必要なのだ。新庄のデビュー、正気の沙汰ではなかった。日米野球でノーヒットノーラン川尻、そうタイガースに常識人はいらない、常規を超えた選手が必要なのだ!さあ前田中村イチロー小笠原鈴木健小久保をFAで獲得するのだ。
今日のテーマ「死んだ子の歳を数える」
8月7日のわたくし
んなことを(8/6のわたくし)書いたらタイガースは後半戦開始以来2勝1敗ペースで6勝3敗なのだが、まあいつまで続くのでしょうか.....
ここんとこ千葉すずちゃんの問題とかプロ野球五輪派遣問題とか、いわゆる「そのスポーツを管理する団体」の体質等の問題が表出してきているのだけれど、スポーツマスコミを含めて奴らがダメダメなのは今に始まったこっちゃないよな。何たって奴らは体育会だもん。
体育会って主に年令、場合によってはその階級で各自の絶対的なランク付けをして、そのうえで上意下達で上の言った事には無条件で従うというメカニズムで、たしか昔早稲田かなんかで生まれた風土らしいんだけど、ようするに外部に対する効率のみ考えたシステムで、よくも悪くも軍隊の様式が基本であります。権威主義の見本です。
つまり批判、特に上位者に対する批判なんて重罪なのです。すごく安全保障の行き届いたシステムの破壊者である批判者は外部、内部問わずに敵とみなされるのですね。価値観は敵味方しかないんだから。水連会長が会見であんなに強気で押していたのは「勝つ」ことが目的であるから、その主張が正当であるかどうかより「反逆者」千葉に勝った事を「権威」である調停で認めていただいたと主張してるの過ぎない。だから「選考の透明化」なんて考えてる訳ないのである。脳みそがそっち方面用にはできていないんだからしょうがない。体育会だもん。
今日のテーマ「体育会だもん」
8月9日のわたくし
高見広春「バトルロワイヤル」を読み直す。昨年の今頃に一回読んだのだが、その本をなくしてしまっていたところBOOK OFFで発見し、今回再読したのだ。
あいかわらず「気持ちが悪い」とか「反社会的であり...云々」という人々の気持ちがわからない。こういう書き方をする時は「わからないわけじゃないけど違うだろ」という場合が多いのだがこの小説に関してはほんとに「このくらいで気持ち悪いの?」という???な思いでいっぱいなのだ。
まあ中学生の1クラスによる殺し合いゲームというプロットや、その殺し合いのディテールで不快感をもよおしたくらいにしか解釈できない。でもこの小説の本質をネガティブなものと誤解する人々の多さはちょっと理解できない。
殺し合いゲームという基本プロットやそのルール、さらにプログラム担当教諭のキャラクタなど、作者が揶揄し、批判の対象としているものは割に明解で、共感こそすれ不快感などなかった。現実の中学生の息苦しさを記憶している者ならわかるはずではないか。この小説の登場人物同様の状況にかつて中学生だった我々はいたはずではないか。
各生徒のキャラクタ付けも丁寧で、クラスという共同体のもろさを描いている作者は間違い無く「かつての中学生」に向けてこれを書いている。かつての疑問を感じながら何もできなかった中学生に向けてオトシマエをつけようとしている。だってイマドキの中学生はブルーススプリングスティーンは知らないぜ。
かつて、80年代に中学生だった者(僕は計算したら70年代後半だった、まあいいや)の当時の閉塞感を描きながら、作者は希望を持っている。どこがネガティブなもんか。
「そう。つまり、今この国がやっているようなシステムが、この国の人間に、結構ぴったり合ってたんじゃないかなとな。つまり、お上の言うことには逆らわないこと。付和雷同。他者依存性と集団指向。保守性と事なかれ主義。みんなのためだからとか誰かに立派そうな理由を示されたら、たとえ密告をするときでも、いいことをした、と自分を納得させられるような救いがたい愚鈍-。そんなこんなさ。要するに、誇りもなけりゃ倫理もないってことになるか。自分のアタマで考えられないんだよ。長いものにはくるくるくる。全く、ゲロの出る話だ」(バトルロワイヤル/高見広春 243ページより)
ここで描かれているのはまさしく中学生の青臭い紋切論なのだが、そんな原点、誰もが思っていた事(そんなこと考えた事ないって奴はとっとと殺されてくださいな)を忘れてはならない。彼等はだから行動している。おまえは行動したのか?と問うている。
登場人物にこんな話をさせた作者はその一方で彼等に「大人は.....」といった「大人はきたない」的な話はいっさいさせていない。若さ、幼さ故の理想論という言い訳をしていない。そう、作者はおそらくほんとに怒っているのではないか。現実はこの物語の大東亜共和国と寸分の狂いもなく同じなんだ。
今日のテーマ「中学生の正義感」
深作欣二監督で映画化されるようだ。おそらく担当教諭役であろう出演者にビートたけしが決定しているらしい。反体制を叫びながら実は今や上に引用した「この国の人間」にすべて当てはまる層になった世代のヒトビトという点でイヤな予感がするが、担当教諭役がジョーダンズよりはいいか。シナリオを薩川氏にオファーしたという情報も半年位前に聞いたが、そのへんに期待したいな。